三笑亭都楽会(六代目 三笑亭都楽)都楽流 江戸写し絵

三笑亭都楽会は、江戸時代に「写し絵」を創始した三笑亭都楽の仕事と名跡を継承し、その技法・世界観をオリジナル保全を最優先にして現代に再構成するた研究・制作・上演を進めています。

都楽流 江戸写し絵

木製の幻灯機と単レンズ、油火を用いて、和紙をスクリーンに幽かな光の絵を浮かび上がらせる。三笑亭都楽が創始し、洗練させた「江戸写し絵」のスタイルは、現代アニメーションにも続く「日本のオリジナル映像芸術」のひとつです。

三笑亭都楽会について

三笑亭都楽会は、江戸時代後期に幻灯機(「風呂」と言います)を開発し、「写し絵」の技芸を創始した初代 三笑亭都楽の芸と名跡を継承し、日本独自のヴィジュアルメディア文化としての価値と魅力の発信を、学術的且つ文化的に行う都楽流 江戸写し絵の団体です。初代 都楽による「写し絵」創始以降、複数の流派や名跡が生まれては消え、その命脈は今日、尽きかけているのが現状です。一部流派での復活や維持・継承は確認できますが、オリジナルである初代 都楽の技芸は本会以外では、まったく理解も継承もされていないという残念な状態です。
私たち三笑亭都楽会は、初代 都楽によって創始されたオリジナルの「江戸写し絵」を忠実に再現、継承してゆくことで、その魅力を世界には発信してゆきます。

都楽流は他と何が違う?

  • 現代に残された郷土史料として「過去の風呂(幻灯機)」を譲り受けて「模擬上演」をするだけでの写し絵パフォーマンスは本当の「江戸写し絵」ではありません。
  • 都楽流の写し絵師は、独自の風呂を作れる技術技術、種板(ガラス動画)の制作能力、それをもって上演する表現力という、初代 都楽依頼の技術を完全に継承することを目指しています。
  • 私たちの技術研鑽と研究は「江戸写し絵」とは似ても似つかぬ「令和の写し絵」とはまったく異なるものです。

「江戸写し絵」とは?

  • 17世紀にドイツ人神父のアナタシウス・キルヒャーによって発明された「マジックランターン」は、江戸時代にオランダから輸入され、新しい娯楽装置として広く普及しました。やがてそれは「幻灯機」として日本で独自の進化を遂げ、初代・三笑亭都楽によって改良・改造がなされ、日本独自のヴィジュアルエンターテインメント「写し絵」として芸術性と娯楽性を高めてゆきます。
  • 特に、文化・文政期になると、都楽流のオリジナル幻灯機(=通称「風呂」と呼ばれた)にガラス絵(種板)の像をスクリーンに投影する視覚芸能「江戸写し絵」は、歌舞伎・講談・祭礼芸能と交差しながら、怪談・風景・笑い話など、多様な演目が作られ、江戸庶民に楽しまれてきました。
  • ガラス絵を動画のごとく魅せるエンターテインメントは、江戸の「アニメの原型」「現代のプロジェクションマッピングの原型」としてその仄かな芸術性から、世界的に再評価されています。


「江戸写し絵」を正しく継承するために

  • 江戸時代後期から明治初期に大衆芸能として盛り上がった「江戸写し絵」ですが、明治中期以降、映画(活動写真)の急速な普及もあり、衰退の一途をたどります。大正時代に起きた「関東大震災」により、江戸時代から継承されてきた風呂や種板の多くが失われたこともそれに拍車をかけました。西洋から輸入された最新の映像装置に、機器も芸も置き換わってゆきます。「江戸写し絵」の芸と文化を支えてきた名跡もそのほとんどが途絶えてゆきます。
  • 記録では大衆芸能の一部としての「明治版写し絵」が昭和初期までかすかに存続していたようです。しかし、明治後期には、芸能としての実態はほぼ失われていたと思われます。
  • 戦後になって、在野の研究者・小林源次郎氏による体系的で網羅的な「写し絵」研究の成果が世に出され、写し絵の実態は今日まで伝えられることになりました。しかし、映像飽和時代の今日、一部の再評価やノスタルジー的復古がなされてはいるものの、まとまった研究や情報の整理がされているとは言い難いのが現実です。
  • 平成に入り「江戸写し絵」を標榜し、一部の名跡継承や再興の動きが見られていますが、それらは郷土芸能や大衆芸能として再現パフォーマンスやワークショップが作られる程度に止まっています。もちろん、啓蒙的な位置付けで、そういった「江戸写し絵」の動きは貴重ではあり、価値ある活動である反面、残された課題や残念な点は少なくありません。
  • 例えば、江戸時代の「写し絵」を継承していると言いながらも、実態は「明治期以降の写し絵」であるものがほとんどであることはその典型です。「江戸写し絵」を標榜する復興パフォーマンスの多くが「明治写し絵」であることは、使われる機材(風呂)や種板、表現などからも明らかです。中には、完全に「平成・令和の写し絵」としか言えないものが「江戸写し絵」として扱われています。
  • 江戸時代の光学知識・技術や素材は極めて限定的です。現在の光学機材や環境をフル活用した「写し絵」は、残念ながら「ノスタルジーコンテンツのプロジェクションマッピング」にすぎません。
  • 残念なことに、明治期の登場した「末期(晩年)写し絵」を「江戸写し絵」として標榜したり、紹介している事例が少なくありません。「江戸時代から続く・・・」とか「江戸時代の写し絵を再現」などを謳ってはいるものの、江戸時代とはおよそ関係のないものなのであり、当流派ではそれらを正式な継承とは認めていません。
  • 私たち「三笑亭都楽会」では、初代・三笑亭都楽が創始したオリジナル「写し絵」を風呂から再現し、その保存と継承、技術の向上を進めています。

写し絵の特徴

  • 風呂の寸法・構造・レンズ配置の再現
  • 種板のサイズ・構成・画題の分析
  • 上演空間(席亭・寺社・見世物小屋など)の復元的検討
  • 同時代の絵草紙・錦絵・公文書との照合



初代 三笑亭都楽

  • 初代 三笑亭都楽は、1778年(安永7年)江戸・小石川伝通院門前にて上絵師・亀屋吉六の子として生れました。1852年(嘉永5年)12月27日没、墓所は浅草・光照寺にあります。
  • 本名は熊吉(明治以降は高松性)といい、元は日本橋瀬戸物町で上絵師・亀屋亀徳として活動していたようです。
  • 1801年(享和元年)春に上野山下の見世物小屋で見た阿蘭陀エキマン鏡から「写し絵」を着想します(「エキマン鏡といへる目鏡を種としビイドロへ彩色の絵をかき自在に働かす」)。種板の描画には、友人である飯田町の蘭方医・高橋玄養(蘭方医・玄荘の子)の協力を得て、エキマン鏡の仕組みと材料、ガラス板に着色する方法、薬品などの提供を受けています。
  • 「写し絵」を事業化するために、興行権獲得を目的として寄席芸人のボス的存在であった落語家・初代 三笑亭可楽の門人となっています。これは、当時は芸人の鑑札がないと興行ができなかったためであり、保証人でもあったようです。その後、都屋、亀屋の亭号も称しました。
  • 享和3年(1803)3月に牛込神楽坂の「春日井」で有料(木戸銭20文あるいは28文)で「写し絵」興行を開始します。当時の技術環境では、長時間の実演は困難で、詞(セリフ)と下座音楽で構成された端物が主流だったようです。風呂の開発、種板の制作、口上・唄、写し絵の操作、鳴り物の全てを一人で担当していたと言われています。その高度な芸から「魔法使いなり」とも言われました。
  • この初代 都楽の一連の芸風こそ、私たち都楽流 江戸写し絵が、(1)機器(風呂)の開発(2)コンテンツ(種板)の制作(3)パフォーマンスの技術 の3点を流派継承の条件にしている所以でもあります。
  • 初代の門人に、都住、都勇、都龍らが達人として記録されています。門人・弟子には「都」が付けられました。その伝統は現在も受け継がれています。
  • (参考文献)斉藤月岑著「武江年表」嘉永元年、斉藤月岑著「百戯述略」五巻・明治初年、関根只誠著「名人忌辰録」明治28年、大槻如電著「新撰洋学年表」大正15年、伊勢辰発行「繪美良図譜」大正11年

三笑亭都楽名跡と他芸能との関わり

  • 「三笑亭」は、落語や講談などでも利用されている日本に古くからある芸人の亭号です。そのため「三笑亭」と聞くと、初代 都楽が落語や講談と何らかの芸能的・文化的な繋がりがあるようにも感じる人もいるかもしれません。しかし、落語や講談名跡の三笑亭と写し絵名跡の三笑亭とは、まったく関連性のない異なる亭号です。現在でも、私たち江戸写し絵の流派である「三笑亭都楽流」は、落語や講談といった他の芸事とは一切関わりはありません。
  • それはなぜでしょうか? わかりやすく説明します。そもそも「三笑亭」とは、初代都楽が生きた時代では、ありふれた芸人の亭号として利用されていました。日本最古の職業落語家と言われる「初代 三笑亭可楽(1777〜1833)」もそんな一人でしたが、江戸と上方の同時代に複数の三笑亭可楽が確認されているぐらいです。
  • 一方で、職業や職域が固定されていた江戸時代の日本では、今のように誰もが自由に芸人をできるわけではありませんでした。プロの芸人として興行を打つためには興行師としての鑑札を得る必要がありました。そこで、初代都楽は、創始した写し絵を事業化するために、当時、江戸芸人のボス的存在として君臨していた初代 三笑亭可楽の門人になることで、興行権を獲得します。
  • そのため、可楽と都楽には、落語家としての師弟関係があったわけでも、名跡的連続性があったわけでもありません。初代 都楽にとってはそれはあくまでも興行権を得るために過ぎませんでした。それは都楽が三笑亭と同時に、都屋や亀屋といった亭号を同時に利用していたことからも示されています。
  • しかしながら、都楽の技芸が極めて高い水準にあったことは、初代 三笑亭可楽門人の中で「可楽十哲」と呼ばれる高弟の一人に初代 都楽が選ばれていることからも伺い知ることができます。

都楽流の系譜

江戸から明治へ

  • 都楽の写し絵は、のちの錦影絵や近代幻燈、さらには活動写真へと続く「光学映像芸能」の流れの中で位置づけられます。明治期には西洋式幻灯機と混在しながら、昭和初期に消滅するまでさまざまな系統の写し絵師が活動していました。
  • 今日の「写し絵」業界最大の懸念事項は、初代 都楽によって生み出された技芸と風呂が完全に置き忘れ、「明治期の写し絵」が「江戸写し絵」として流布されていることです。そもそも、「風呂」を自作できない人は写し絵師にはなれません。それは他人が作ったパワーポイントでプレゼンテーションをするようなものです。
  • 私たち三笑亭都楽会では、開発(風呂)・制作(種板)・パフォーマンス(演目)をセットにした「包括芸術としての写し絵」の継承と技術向上を通じて、江戸写し絵を今日の観客に共有可能な形で提示してゆきます。それこそが、私たちの考える〈系譜の継ぎ方〉です。


6代に至る都楽

(初代)三笑亭都楽:享和3年(1803)より活動。
(二代)三笑亭都楽:嘉永年間に活動。初代の養子。
(三代)池田 都楽:明治2年(1869)より活動。
(四代)三笑亭都楽:明治年間に活動。幻灯機製造業として襲名。
(五代)三笑亭都楽:昭和26年頃に記録が残るが、詳細は不明。
(六代)三笑亭都楽:当代。平成年間(2012)に活動開始、現在に至る。

系譜

    初 代 三笑亭都楽
  • 1778年(安永7年)〜1852年(嘉永5年)12月27日。本名は熊吉(明治以降に家系は高松性)。享和 3 年(1803)3月に牛込神楽坂の「春日井」で有料(木戸銭20文るいは28文)で「写し絵」興行を開始。「江戸写し絵」の元祖となる。都屋都楽、亀屋都楽とも称した。
    二代目 三笑亭都楽
  • 初代が埼玉から迎えた養子。本名、亀屋徳右衛門。
    三代目 池田都楽
  • 浅草蔵前にて、幻灯商をし、明治2年に本名である池田姓で都楽を襲名。「幻燈映画」として活動。残された種板の絵に名品が多いと言われる。本名は池田友吉(絵師として都鏡)
    四代目 三笑亭都楽
  • 幻灯製造業として襲名。
    五代目 三笑亭都楽
  • 本名は池田吉太郎。昭和26年頃に襲名の事実と記録は残るものの、その実態や詳細は不明。
    六代目(当代)三笑亭都楽
  • 平成期(2012)より、メディア史研究を経て、活動開始。三笑亭都楽流の制作ノウハウ、技術、文化の継承のため、三笑亭都楽会を創始、現在に至る。

都楽流 江戸写し絵とは?

「都楽流 江戸写し絵」は、初代三笑亭都楽が用いていたと考えられる風呂・単レンズ・横長種板をベースにしつつ、21世紀の視覚文化研究・歴史研究の成果を踏まえて再設計→再現した「江戸写し絵」継承と発展に向けた総合プログラムです。

単なる「レトログッズの再現」ではなく、江戸と現代のあいだに橋を架ける「メディア実験」として、研究・開発・上演・展示・ワークショップのそれぞれの場面で設計を変えながら展開していきます。


都楽流の門人を志す人は、まず、自らが利用するための「風呂」の開発から始めます。大変な作業ですが、これを実現しなければ都楽流としては活動できません。風呂の制作を通して、初代都楽が積み上げてきた技術の継承を目指しています。

都楽流の基本要素

  • 僅かな記録を辿りながら、都楽流の風呂を設計
  • 直径約50mmの単レンズを用いた柔らかな結像
  • 横長の種板(1枠1コマ)による場面転換と簡易パン表現
  • 怪談・風景・機巧趣向を織り込んだ演目構成

都楽流写し絵の復活・継承に向けた教育・研究

  • 「江戸写し絵」のオリジナルを復活させる試みは極めて困難です。残された資料に少なさと、明治以降の「近代的改悪」により、三笑亭都楽時代の風呂や種板の構造や設計、デザインは残っていません。残された僅かな資料や情報を、パズルのように当てはめながら、その実態を探ってゆくという膨大な作業となります。
  • 三笑亭都楽流の風呂の設計・制作は現在、東洋大学総合情報学部・藤本貴之研究室を中心に進められています。また、藤本貴之教授により、2012年度より、東洋大学「メディア史」の講義の中で、マジックランターン、幻灯機など、プレシネマ(視覚メディア)に関する様々な教育が続けられています。

連絡先

名称
三笑亭都楽会(六代目 三笑亭都楽)
活動内容
江戸写し絵(都楽流)に関する史料調査・装置復元・種板制作・上演/講演・展示・ワークショップの企画運営 ほか

連絡先住所

〒350-8585 埼玉県川越市鯨井2100
東洋大学川越キャンパス・総合情報学部
藤本研究室(メディア情報専攻)

お問い合わせ

六代目都楽へのご連絡、「江戸写し絵」研究に関する相談・照会・取材・共同研究等のお問い合わせは以下。